Monday 11 July 2011

西尾幹二著『ニーチェとの対話』

西尾幹二さんが原発に反対されているそうで、確かに彼ならそうだろうなと思いました。昔読んだ『ニーチェとの対話』という新書にこうあります。
考えてみて欲しい。今日の世界に私たちの達成するいかなる理想や目標が存在するであろうか。万人に共通するいかなる生の意味が存在するであろうか。福祉充実であれ、産業維持であれ、個人も国家も、よりよき生活を目標にする以外に、生活の目標を立てようがないのである。よりよき生活とは、少しでも便利に豊かに暮らすための単なる条件づくりにほかならず、われわれはなにかのために生きるのではなく、結局、生きるために生きる以外に生の目標を立てようがない。ということは、目標は存在しないということにほかならず、したがってこれほどひどいニヒリズムはないともいえる。人間はだんだん動物に近づき、文化状況はますます子供っぽくなっていく。(p. 90)
原発が無ければ経済に悪影響があるとか言うけど、それよりも大事なことがあるだろうという点に賛成です。
ただ、西尾さんの「経済的豊かさよりも大事な目標」とは、日本国の威光で世界をひれ伏せさせるみたいなロクでもないこと考えていそうですが。僕は、原発の問題は人権の問題だと思います。他人を犠牲にしてまで豊かさを追求することは人間がすべきことでしょうか。

4 comments:

  1. はじめまして、はぬると申します。

    >西尾さんの「経済的豊かさよりも大事な目標」
    経済的豊かさを指針にして、散々植民地支配を肯定したのはどこのどなたでしたか…
    それとも西尾さんは生きる(よりよき生活の)ためなら他者の支配下に置かれてもいいというのでしょうか…?
    でも、何を以て「よりよき生活」とするのかは人それぞれですから、彼自身に大きな矛盾をはらんでいます。
    彼は、「でも、原発があることで福島は発展したじゃないか」と反論されたら、どうするつもりなんでしょうか^^

    このような人物が原発反対の立場に立っても、一貫したものにならないことは目に見えていると思います。

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  2. はぬるさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

    逆に言えば私が西尾さんに賛成できるのは引用した部分だけですね(笑)。彼は経済的豊かさだけでなく、基本的人権でさえも最重要ではないと考えているのではないでしょうか。きっと、原発は廃止しても核兵器を作るためのプルトニウムはずっと国内に保管すべきだとか言い出しますよ。私にとっては、反原発で一緒に組める人物ではありません。

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  3. 彼ってひょっとして、反原発運動を混乱させるため反原発の立場を表明していたりして…
    なんて、これは穿った陰謀論でしかありませんが…A^-^;

    でも、PPFVさんという方が、このエントリー(http://ppfvblog.seesaa.net/article/215172725.html)のコメント欄で「従来から地道に行われてきた脱原発運動の信頼性をも失う」と仰っていましたが、西尾さんという方は、まさにその役割しか担えない人じゃないかなと思います。

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  4. よせばいいのに彼の書いた分厚い歴史の本も読みかけたことがありますが、出だしで朝鮮半島は日本に振り下ろされた拳骨のように見えると書いてあって、即ギヴアップしました。こんな人に教科書書かせるって、みんな大丈夫か?と思ったものです。

    後日網野善彦さんの本で上下逆さの日本地図(http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000584.html)を見ました。自分の先入観が覆えす視点にすごいと感心すると同時に、西尾さんを思い出し、地図の見方ひとつとっても人の知性とはこれほど開きが出るものなのだと考え入りました。

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