Thursday 21 April 2011

一休さんもデモに参加しただろう。

福島の事故が契機となり反原発のデモが行われているというニュースを見て、アニメ『一休さん』の『正月はめでたくもあり、めでたくもなし』というエピソードを思い出しました。music for lifeというブログにあらすじが紹介されています。つらい話です。『一休さん』は、毎週とんちで難問解決めでたしめでたし、というわけではなかったんですね。

一休さんが救済したかった農村の人々は、戦争によって田畑が戦場になり損害を被りますが、収入を得るためあえて戦争に協力します。何だか、ひとたび原発事故が起きれば住むことさえできなくなるにもかかわらず、職を求めて誘致せざるを得なかった原発周辺住民を連想させます。

ラストシーン。社会の不条理を目の当たりにして、一休さんは一人でデモ行進をします。お正月なのに彼のメッセージは大変不気味。
「小坊主、空気読め」
と怒る町民からは石を投げられる始末です。そんな彼に
「デモなんかしても何も変わらない」
「デモは建設的ではない。具体的な案を出せ」
「デモは逆効果。人の感情を逆なでするな」
とか言うのは筋違いのように思います。一休さん自身それは理解しているでしょう。それでも不条理に我慢ならないんだと声を出さずにはいられない、そういう態度は自然なことなのだと脚本を書かれた辻真先さんは考えておられたと思います。

Sunday 10 April 2011

原発推進派に期待すること。

たまたま、youtubeで原発の是非を問う田原総一郎さん司会の討論番組をチラと見ました。先月末に放送されたようですが、いまだに「原発ルネッサンス」などと主張する人々がいて、すごいなと思いました。よっぽど人権意識に欠けておられるのだろうか。。。
仮に推進派の主張が正しいとしても、これから二、三十年の間に新しい原発を建設し始めるのは大変厳しいのではないかと予想します。福島の事故が起きてしまった今、あえて原発の立地候補になる市町村があるでしょうか。また、受け入れ派の政治家が県知事選挙に出て勝てるでしょうか。
もし今後も原発を作っていくならば、今回の事故を教訓に施設をより安全にするのはもちろんですが、どう対策をしたところで「絶対安全」という言葉はもはや通用しないでしょう。事故の確率をゼロにすることはできませんし、むしろ安全対策が進歩するほど「予想外の事故」には対応できません。
そこで推進派が今すべきは、事故が起きても発電所付近住民への被害や不都合は最小限にとどまるんだと証明することです。
例えば、東北地方からの食品をどんどん消費し、他の地域の食品に比べて割安にならないよう需要を支えましょう(スーパーで売ってる食品のパッケージに賞味期限・カロリーと並べて、性別・年齢を考慮して誰だったら食べても被害が無いか放射能による汚染の程度を明示する必要がありますね)。また、原発周辺から避難してきた人々を手厚く迎え入れるべきです。